活動報告、会計報告と公式サポーターズクラブ規約 等
公式サポーターズクラブ規約 (ファイルサイズ 1.08M)
2009-10シーズン
活動報告および会計報告 (ファイルサイズ 7.09M)
AGM報告の補足およびQ&A (ファイルサイズ 0.20M)
公式サポーターズクラブ規約 (ファイルサイズ 1.08M)
スパーズ・ジャパンの主な活動
2002年の設立時に団体情報のみを掲載していたウェブサイトを2003年にニュース配信をメインとした情報サイトにリニューアル。以降、「スパーズの普及」のために団体活動の中核としてコンテンツを進化させながらニュース配信を続けている。
スパーズ関連のメディア出演・執筆活動
2005年から3年間連載が続いた携帯サッカー情報サイト「超ワールドサッカー」を初め、多数の日本のサッカー誌やトッテナム・ホットスパー公式マガジン、英国紙記者のメール・インタビュー、プレミアリーグ他クラブのマッチデー・プログラムへの寄稿。スカイパーフェクTVのゲスト解説者出演(初代チェアマン・大山)、テレビ番組制作への情報提供など、日本におけるスパーズ特使として依頼を受けたら断らず、原則無償(一部、報酬の団体活動費計上)でこれら活動を行っている。
スパーズ・ファンの交流イベント
スパーズの試合観戦イベントや、他のサポーターズクラブとのフットサル交流戦、団体活動を報告するアニューアル・ジェネラル・ミーティングなど、ファン同士の交流を目的としたイベントの実施。2009年には国境を越え、香港、シンガポール、オーストラリアらスパーズのサポーターズクラブとの交流を実現している。
会員特典のオリジナル・グッズ作成
トッテナム・ホットスパーFCから認可されたスパーズのロゴを使ったオリジナル・デザインのTシャツやメンバーズ・カードなどを作成し、団体活動に賛同する会員への提供を行っている。Tシャツは、そのシーズンのスパーズ登録選手一覧(夏の移籍マーケット終了時点)がデザインに織り込まれたメモリアル・グッズ。
現地観戦ツアー(現在、不定期開催)
団体設立から数シーズンは年に一度の現地観戦ツアーを開催し、ラウンジ・シート(VIP席)で試合前後の選手やレジェンドとの交流を行っていた。しかし、ツアー参加はスパーズ・ジャパン運営スタッフの負担が大きく、現在は不定期開催となっている。なお、プレミアリーグのホームゲーム最終戦は、公式サポーターズクラブが年間最優秀選手の授賞式に招待されるが、日本のゴールデン・ウィークと重なることが多く渡航費が跳ね上がるため、毎度、参加に二の足を踏んでしまう。
団体沿革
2002年の団体設立から今日に至るまでのスパーズ・ジャパンの沿革を、スパーズの現代史と共に振り返る・・・
2002年7月 スパーズ・ジャパン設立
幼少時をノースロンドンで過ごし当時からの熱心なスパーズ・ファンである初代チェアマン・大山とその同志が、2002年に日本で開催されたワールドカップ後にトッテナム・ホットスパーFCと合意の上で日本に公式サポーターズクラブを設立。団体名を「スパーズ・ジャパン」とする。
2003年8月 ニュース配信を開始
スパーズ・ジャパンのサイトにてニュース配信を開始。初ニュースはマビゼラの加入を伝える記事タイトル「マビゼラへの期待」。そして、配信開始1ヶ月後にグレン・ホドルの解任の報を伝える。
2004年9月 新運営体制の始動
それまでウェブマスターを担当していた石川が、初代チェアマン・大山の後任として二代目チェアマンに就任。併せて、財務担当に渋川、セクレタリーに犬塚が就任する。8月に新チェアマン・石川がノースロンドンを訪ねての挨拶周りを行うが、その際に会話が噛み合わなかった新指揮官のジャック・サンティニがその2ヶ月後に退陣。さらに、ミスター・トッテナム・ホットスパーことビル・ニコルソンの御逝去と悲しい出来事が続く。
2005年9月 日本最大級携帯サイトでコラム連載
日本最大級の会員数を誇る携帯サッカー情報サイト「超ワールドサッカー」にチェアマン・石川がスパーズを題材としたコラムの連載を開始。2005‐06シーズン、マーティン・ヨルのもとでスパーズが大躍進を遂げ連載も盛り上がったが、最終節に4位の座から転げ落ちる悲劇で幕を閉じる。
2006年9月 プラハに掲げたバナー
前シーズンを5位で終えたスパーズが今世紀初のヨーロッパ戦(UEFAカップ)に挑んだアウェイのスラビア・プラハ戦にスパーズ・ジャパンも参集。アウェイのカップ戦でイングランド名物となるオリジナル巨大バナー(スパーズ・ジャパン自作)をプラハのエブセナ・ロシッケホ・スタジアムに掲げる。後に、このジャパンのバナーを見た英サポーターから、問合せと激励のメールが届く。
2008年2月 スパーズ創設125周年、スパーズ・ジャパン5周年の栄冠
2007‐08シーズンにクラブ創設125周年とスパーズ・ジャパン設立5周年を迎える。ファンに絶大な支持を得たマーティン・ヨルが成績不振により失脚し、後任のファンデ・ラモスがカーリング・カップ制覇と激動のシーズンになる。シーズン半ば、大低迷の真っ只中に迎えた創設125周年記念試合(対アストンビラ)、栄冠を手にした2008年2月24日のカーリング・カップ決勝(対チェルシー)は共に日本での中継は無かったが、カーリング・カップ決勝はスパーズ・ジャパンで都内スポーツ・バーにて観戦イベントを実施し、タイトル獲得の瞬間を見届けている。
2009年7‐8月 プレシーズンマッチ@香港でアジア交流
1971年、1979年、1991年と過去に3度の来日を果たし日本のファンを虜にしたスパーズが、2005年に韓国で行われたピース・カップ以来となるプレシーズンのアジア・ツアーで北京と香港を訪れる。スパーズ香港の呼びかけで、中国、台湾、シンガポール、オーストラリア、イングランド、そして日本からサポータークラブが集い、親睦を深める。なお、北京で行われたアジア・トロフィーではウェストハム、ハル・シティを退けて優勝するも、連戦にへばったスパーズは40℃に迫る猛暑と90%を超える多湿の香港で、香港南華(South China)に敗北。ゴール裏スタンドでは、連夜の盛大な宴の疲れと熱射の中の声援でヤラれた各国スパーズ・ファンがへばっていた。
AND THE SPURS JAPAN GO MARCHING ON....
