ホプキンス 伝説の選手サー・トム・フィニー
Check 公式ニュース2009年9月23日
1950年代、60年代に活躍したトッテナムのレジェンドであるメル・ホプキンスが、今夜のカーリング・カップ第3ラウンドの対戦相手であるプレストン・ノースエンドの、そしてイングランド・フットボールの伝説的偉人であるトム・フィニーについて語っている。

この偉大なるフットボーラー、フィニーの公式リーグ戦デビューは24歳。しかし、それは第2次世界大戦によるリーグ停止の影響によるものであり、プレストンで選手として築いた1946年から60年のキャリアで、473試合に出場し210ゴールと十分に偉大な記録を残している。

プレストン一筋の「ザ・プレストン・プラマー(The Preston Plumber)」フィニーは、1954年のFAカップ決勝にクラブを導き、自らはその年の最優秀選手を受賞。1957年には、ファースト・ディビジョン(イングランド・トップリーグ)の3位にプレストンを導き、さらに翌年の1958年にはウォルバーハンプトンに次ぐ2位でリーグを終えている。

イングランド代表として76キャップを数え、30ゴールを国際舞台で記録。負傷が理由で、1959‐60シーズンを最後に現役キャリアから退いている。

1998年に大英帝国勲位を授かると、1956年のスタンフォード・ブリッジで泥まみれのチェルシー・ディフェンダーに囲まれながらもボールを保持し続けるフィニーを撮影した有名な写真をモチーフとした銅像が、プレストンのホーム・スタジアム「ディープデイル」の敷地内に設立。噴水の中に置かれたその像は、「ザ・スプラッシュ(The Splash)」と名づけられている。



Tom Finney





フィニーと同時代に活躍し、トッテナムの選手としてプレストン・ノースエンドのFWトム・フィニーと何度かプレーしているスパーズ・レジェンドの元ディフェンダー メル・ホプキンスは、「私の個人的見解だが、トム・フィニーはスタンリー・マシューズよりも優れた選手だった。トムは左ウィングでも右ウィングでも、そしてセンターフォワードでもプレーができたが、スタンはご存知の通りディフェンス・ラインに張り付くタイプのストライカーであったからね。そこで抑えることができれば、手を焼くことは無い選手だったんだよ。しかし、トムはボールを奪えるし、ヘディングも上手かった。そういった点において、スタンレー・マシューズよりも組み難い相手だったんだよ。プレストンでは、左右のウィングでプレーしていたが、イングランドではほとんど左ウィングとしてプレーしていた。彼をメンバーから外すのはあまりにも惜しかったために、スタンレー・マシューズが右サイドに入ったほどさ。私がトッテナムで対戦した際に、トムはプレストンの右ウィングでプレーした。彼が相手にいるだけで、気を抜くことができなかったね。ボールをひとたび持てば、素晴らしいボール・コントロールでゴールも決めれた。一度、彼がセンター・フォワードでプレーして我々と対戦したときに、ホワイトハート・レーンで6‐2の大敗を喫したことを覚えているよ。私は彼のことをとても高く評価していた。彼はファンタスティックなフットボーラーだったよ。今のイングランド代表チームでも、現役時代の彼なら間違い無く通用するね。魅力的なフットボーラーであると同時に、友人としても最高の男だった。本当に良い奴で、誰もが会いたくなるような力がある。とても腰の低い男だ。そして何よりプレストン一筋を貫いているところが彼らしいところさ。彼は、全世代を通じても最高のフットボーラーの一人に挙げられるだろう。ただし、私を除いてね。その時代時代で最高の選手を挙げていくとすれば、彼の名前が挙がらないことはないはずだ。プレストンは当時、本当に素晴らしいチームだった。トムだけじゃなく、トミー・トンプソンや他にも優れたフットボーラーがいた。1950年代の彼らは最強のチームだったよ。プレストンやバーンリー、ウォルブスやウェストブロムといったチームがあの時代は強かったが、トム・フィニーは時代を超えた最高の選手さ」と語っている。

なお、フィニーは現在プレストンの名誉会長としてディープデイルでの試合には毎回足を運んでいる。